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中国の歴史に詳しい方や、中国が好きな方が一度は訪れたいと思っているのが敦煌です。また、シルクロードと言えば敦煌の名が真っ先にあげられます。かつては沙州と呼ばれた砂漠のオアシス敦煌は、漢の武帝が西域経営の為に設けた西域四群(武威、張液、酒泉、敦煌)の砦で、軍事基地としての役割を担っていました。辺境の地にあることから、中原の漢民族王朝の影響力が弱まると、吐蕃や西夏などの異民族に占領されるなど、民族興亡の舞台でもあったのです。敦煌の海抜は1700メートルと高く、西は西域に、南は青海からチベットへも行ける交通の要所です。
さて、敦煌と言えば、その代名詞となっているのが莫高窟で、1987年に世界遺産に登録されました。鳴沙山の東端にある石窟群で、山麓の絶壁に東西1600メートルに及ぶ範囲で石窟が掘られています。石窟の中には、極彩色の壁画が描かれ、色鮮やかに色彩が施された塑像が安置されています。石窟は全秦の頃から掘られていたといわれ、元代に至るまでおよそ1000年以上も掘り続けられていたそうです。歴史の中ではしばらく忘れられていた莫高窟ですが、1900年、ここで修行していた道教の道士によって敦煌文書が偶然発見され、脚光を浴びることになりました。
このニュースを聞いたイギリスとフランスの探検家は、莫高窟に駆けつけ大量の文書や絵画を持ち去りました。あわてた清政府は、1909年に残った文書などを北京に移し保管しました。その後も、日本やアメリカの探検隊が訪れ、少量ではありますが文書を持ち去りました。敦煌文書は現在、国立北京図書館、大英博物館、フランス国立図書館、龍谷大学に保存されています。
この地には、日本人に人気がある「月の砂漠」を連想される鳴砂山、砂漠の中にありながら枯れたことのない泉、近郊には西域北道の起点があった玉門関址、西域南道の起点があった陽関址などの史跡があります。どれを見てもシルクロードの要所としての歴史を感じることができるでしょう。
※この記事は、中国人ガイドさんに教わった話です。
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